安さの先に行き着くところは一体何処だろう


牛丼

安さだけが基準なのだろうか

デフレ企業の終焉?

上記にあげた企業は、すべてデフレ時代にデフレの波にきちんと乗っかり売り上げや規模を拡大、成功した企業になったかと思いきや、最近になって雲行きが怪しくなってきた企業です。

FXとかに手を出している割には、経済ニュースにそれほど敏感じゃ無いのですが、これには何か思わせられることがあったので、ブログに書いてみようかと思った次第です。

デフレ時に儲けて業績を伸ばした企業は、もちろん今でも上手くいっているところもあるんでしょうけれど、全体としてどうなんでしょうかね。

マクドナルドの対抗企業の、モスバーガー、バーガーキングなどは、それほど低価格路線に走らず業績が低迷しているという話も聞きません。ただ、自分の情報不足や情報の精査不足で、もしかしたらモスバーガーとかもバランスシート上はヤバイとかもしれませんが、そんな話は聞かないしなぁ

以前見たテレビ番組

以前見たテレビ番組、NHKBSスペシャルの「低価格時代の深層」という番組では、外国話ではありましたが、低価格化の闇の部分が描かれていて、正直ショックを受けました。

このテレビ番組が言いたいことは非常に簡単で「低価格な」商品を購入すれば購入するほど、実はそのツケは自分たちに回ってくる。本当に得をしているのは、経営者や一部の本当の金持ちに過ぎない。ということになります。

何故か、今までの仕事を低賃金で従事せざるを得なくなった結果、とある航空機会社では、精神衛生上の問題やら、職の不安定さから、社会保障費(病院代、失業手当)などの出費がかさんでしまうという結果になっているそうで、結局それを負担するのは、安い航空機会社を利用している利用者(もちろん、その自国民の利用者で、社会保障費のための税金を納めている人たち)という構図になり、安い物を得ようとすれば、それ以上の対価を裏では払う羽目になるということでした。

安いものは良いもの?

ネットの世界では、「安いものが良いものである」という結構ハッキリとしたコンセンサスがあるように思えます。(自分がそういった意見しか見ていないのかもしれないですが)

すき家が、消費税が上がっても、牛丼の値段を下げると発表したときには、ネットでは「ブラック企業だけれど応援するわ」といった声を見かけました。
応援するのは勝手ですが、ブラック企業過ぎて、バイトが逃げ出して経営ができなくなれば安い牛丼を食べることはできません。
結局、それなりに適正な価格で提供している、松屋や吉野屋といった他の牛丼チェーンに行かざるを得ません。

そういう意味でも、物の価値は安さだけでは無く、そのものをそれなりの永続性をもって提供できる環境といったものも価値として見ていく必要があるのでは無いでしょうか。

安い物だけをイナゴのように食い尽くし、次の安い物だけを追い求めてゆく姿勢は、おそらく、自分たちの生活に対する永続性も失ってしまうのでは無いかと考えます。

どこで作られたもの?

仮に、ある物が、凄く安くても、海外製品の大量生産品であった場合、そればかりを購入していたら、国内の高品質で高価格な製品を作っている産業は衰退してしまいます。高品質で無くとも、日本の人件費は高いので、同じ品質であるならば、日本国内で製造した方がコストは高く付くはずです。単純計算ですが。

コストの部分だけを考えて、海外の製品ばかりに頼っていたら、国内産業の売り上げは衰退し、回り回って我々の給料にも跳ね返ってしまいます。安さを求めるがあまり、結局は自分の首を真綿で絞めるような行為をしているわけです。

ネットでの声は極論にすぎないと分かってはいますが、そういった所に危機感を感じないことにもどかしさを覚えます。

でも悪いのは低価格商品を求める側では無い

だからといって、無理して高い商品を買えとか、無理して金出せといいたいわけではありません。
結果として、真綿で自分の首が絞まることを覚悟しつつも、低価格な商品に頼らなくては生活できない人がいるということが問題なのでは無いでしょうか。
自分たちが本来必要としている物に対して、本来払うべき対価をきちんと払うことのできる環境作りが必要なのでは無いかと。

それがどのような形を取るべきか、具体的な施策について、自分はハッキリとしたことは全然言えません。
だから、こんな意見は無責任だってことは分かっていますが、これ以上低価格なものだけを求め、イナゴのように食いつぶしていく生活様式が、今後も続けていけるとはとうてい思えないのです…

しかし世の中は収斂する?

FXをやっていて、それ系の本を読むと、必ず出てくる単語に「コンバージェンス(収斂)」があります。
簡単に言うと、A地点とB地点で、同一の物資が異なる価格で売られている場合、お互いにやり取りや生じた場合、価格差が無くなる、つまり価格は一点に収斂する、という現象が起きます。

世界的金融市場で、その価格差を一瞬で見抜き、素早く取引を行い、その利ざやを稼ぐ方法を、アービトラージと言いますが、アービトラージを繰り返せば、結果として価格は収斂します。
そのため、市場関係者は、価格差という市場のゆがみを絶えず発見し、そこに利益を追求しているわけです。

なんで突然こんなことを言い出したかというと、現代はグローバル経済の時代だと言われています。
国境を越えてあらゆる物と金と人が絶えず移動し、経済活動を形成しています。
その渦中に日本も置かれているわけですが、そのなかで、労働の価格差は確実に「コンバージェンス」していくことでしょう。何も特殊なことをしない限りは。
中国が、ベトナムが、バングラディッシュが労働賃金が安く、仕事が奪われた結果日本の賃金が下がり、徐々にではありますが、中国の労働賃金が上がってきており、他の低賃金国探しが始まっているようです。(それが、ベトナムやバングラディッシュのようです)

つまり、経済がグローバル化した結果、特殊な仕事で無い限り、労働賃金は世界的に見てコンバージェンスしてゆくことでしょう。

その中で、我々は今までの生活を享受できるのか、それは誰にも分からないでしょう。
我々は何処に向かっているのか…