クーポン系サービスは終焉の時を迎えているのか?

酒瓶

※写真は特に、表題とは関係ありません。

顧客満足度とクーポン

先日こんな記事を見つけました。

値段を上げると、客質があがり、サポートコストが安くなる。

これには、心理的なカラクリがありまして、人間は誰しも自己の選択を正当化したいと思うものです。
無意識的にも、意識的にも。
それが顕著に表れるのが、高いコストを支払ったとき。

たとえば車を買ったとか、奮発して、普段行かないような高い外食をしたときなどです。

ちょっとした不備を見つけても、高いコストを払っているという認識があると、人間はその不備を無意識的に見ないようにしてしまう生き物なのです。

車を例に取ってみると、デザインが好きで選んだ車(もちろん、金額的にも高価です)の場合、駆動系に少しばかり不満があっても、デザインが好きだから…(それに高かったし)と、気に入らない点については特に気にしないものです。

それはコストが発生するもの全般に言えることです。

なので、「値段を上げると、客質があがる」のではなく、「値段を上げると、自己正当化バイアスが強くなる(そのためにクレームが減る)」が正解です。

決して客質が上がったわけじゃないんですね。

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クーポンサービスはなくなる?

これも、何処かで見た記事の話でが、すみません、ソースがどこか行っちゃいました。

どんな話かというと、いわゆるクーポン系のサービスを利用してくる客ほどクレーム率が高い、そしてリピートしない。

っていう話でした。

そりゃ当然です。
そもそも、クーポンを使って訪れる客は、定価(クーポンを使う前の金額)を当然の金額だと思ってません。
クーポンを使ってお得に、とすら思っていません。
クーポンで値引かれた金額を当然の金額だと思って店に訪れているのです。
そんな客は、クーポンが無ければリピートするはず無いですし、先に説明した自己正当化バイアスもかなり低いです。

クーポンによって店を選ばされた(クーポンが無かったら来もしていなかった)というエクスキューズが常に存在しているため、サービスに対する潜在的欲求が限りなく低く、自己選択による来店と考えていない可能性が高いです。

そのようなお客は、自己正当化バイアスが低いので、見つけた不備をめざとく指摘してきます。
それで、次は当然来ない。
クレームがあったから来ないのでは無く、そもそも、それほどの価値を見いだしていないから、なのです。

だから、クーポンを発行するサービスを利用して集客して、リピーターになってもらおう、という店舗の考えは脆くも崩れ去ります。

ただ現場が疲弊して損して終了です。

現在、ただでさえアベノミクスの成功とかで、低価格路線の外食産業が窮地に立たされているようなので、このような安易なクーポン発行サービスは、緩やかに市場規模を縮小して、サービスとしては消滅するんじゃ無いかなって考えてます。

一時期あれほどまでにブームを巻き起こした、サービスとしてのクーポンですが、流行るのも早かったですが、衰退するのも早そうです。

おせち事件など、数々の物議を醸しながらも今まで残ってこれたのは、ひとえにデフレ志向が消費者の規定に存在し、少しでも安さを求める消費者と少しでも集客したい店舗側のニーズがマッチしたからだと思います。

しかし、今後は、コスト意識が薄れた消費者と、もうめんどくさい客はこりごりという店舗側のニーズがマッチして、クーポンは使われなくなるのでは無いかと推測しています。

「良い物はそれ相応にコストがかかるものだ」
という、消費者の当然の認識の回帰であり、
「(高いお金を払ったんだから良いに決まっている)」
という自己正当化のバイアスによって、今までの異常な割安感のサービスは消費者側、提供側両方の側面から切り崩されるのでは無いでしょうか。

これも、デフレ脱却の1つの形として喜ぶべきか、クーポンサービス事業者の立場から考えて悲しむべきか。

ちなみに自分は…

自分は、いわゆる購入型のクーポンサービスって1回も使ったことが無いです。
安い物には理由がある、って思っているので、安さだけを売りにするものには近寄らないようにしています。

あと、ラーメン屋などに行くと、トッピング無料券など貰うのですが、これも、捨ててしまうか、存在を忘れてしまうかのどちらかで、結局利用しません。
そんなもの貰ったところで、いつも持ち歩くのも一種のコスト、利用する場面を思い出すのも一種のコストだと思っているので、そんな熱量を消費するくらいなら定価で払って食べた方がマシ、と考えています。
ていうか、ラーメンにトッピングなんてしないしね…