東京ラブストーリーの話

結構ネタバレがあるのでお読みになる方はご注意をしてください。

会社の近くの本屋にふらりと寄ってみたら、東京ラブストーリーの原作漫画(文庫版)が売っていて、ぴぴんとくるものがあったけど何故かその場では買わず。
でも、どうにも何かが引っかかっていて、吉祥寺の本屋で買ってしまいました。
自分が中学生のときにドラマがやっていたことは知っていたけど別に観ていた訳じゃなく、ストーリーもほとんど知らない。
ただ、有名な場面はちょこちょこ覚えているくらい。鈴木保奈美とか織田裕二とか。
んで、読んでみた。
んーなんだろう。このモヤモヤ。
全体的なプロットもシークエンスもストーリー展開も別におかしい訳じゃない。いや、まぁ、コジツケ的なところが無くてすっきりまとまっていて、無理がない。
でも、なにか読んでいるうちにモヤモヤが出てきて、それが大きくなって、読み終えた。
あーなんだこのモヤモヤ。
というわけで、今日は、その感じたモヤモヤについてちょっと書いてみたいと思う。
上手くかければいいんだけれど・・・
いきなりモヤモヤの理由をずばずば書き出すと、東京ラブストーリーを知らない人が読んでもあんまりおもしろくないと思うので、
ちょっと概略を書く。
すげー簡単に書くと、愛媛から出てきた「カンチ」は東京でサラリーマンやってて、同じく愛媛出身の医学生「三上」とは同窓生。
で、やっぱり愛媛出身の保育士の「さとみ」も東京にいて、カンチはさとみのことが好きだけど、カンチの会社にはヘンな女の「リカ」がいる。
そんな4人の恋愛物語っていうのがこの話。
ストーリーはカンチとリカを中心に書かれていて、リカがヘンな女なので、ちょっとドタバタするところが多いけれど、全体的な流れは
恋愛ストーリーそのもの。
っていうのが大まかな見取り図。
で、このリカという女性、ヘンな女って書いたけれど、本当にヘン。一言で言えば自由奔放で、行動が唐突で、野生児的。
正反対にさとみは純粋で一途で常識的。
カンチはどっちかって言うとさとみ的な感じで、やっぱり純粋で一途で常識的。それに比べて三上は女にだらしない。
とまぁ、こんな感じですよ。
そう、モヤモヤの話。
自分がずーっとモヤモヤを抱き続けて、東京ラブストーリー読み続けて、とうとう、そのモヤモヤが解消されないまま読み終えた。
えー、このモヤモヤどうしてくれる!って思ってたら、巻末に柴門ふみと鈴木保奈美の対談が載ってました。
その中の、柴門ふみの発言、
「(略)さとみと完治(-カンチ-(くろすけ挿入))は結構密にプロットかけたんですよ。(略)」
「(略)で、もう一人、物語を動かすためにリカという女を出そうと思ったんですが、なかなかキャラクターをつくれなかった。(略)」
これを読んだときに、モヤモヤがすっきり晴れた。
そうなんだ。
てっきり、自分は、ドラマのイメージが強かったから、リカが主人公なんだって思い込んでた。ドラマ版東京ラブストーリーは完全に
リカが主人公として描かれているので、漫画版もそうなんだとばかり思ってた。結論を言えばそれがモヤモヤの原因。
漫画版を読むとわかるけれど、カンチ・三上・さとみの人物造形や心理描写はすごくしっかりしていて、非常に物語的に理論的。
でも、リカの人物造形や心理描写はそれほどしっかりしていなくて、アフリカ育ちだから自由奔放なんですっていうのは、きつく言えば
コジツケ的で後付け的。しかも、愛されることに慣れていなくて、愛されるのが不安という、リカの行動原理とも言える部分には
物語上深く立ち入ることが無く、そういう人物だ、ぐらいの書き方しかされていない。それは、親子関係に問題があって、
その葛藤からくる心理的な不安定さを抱えている三上とは対極的な扱いだ。リカのキャラクターはしっかり作り込まれている、
とは言い難いキャラクターであるが故に、自分としては、こんな女性がメインでいいの?という気持ちが少なからずあったんだろう。
だから、ずっと、リカの人物造形や心理描写がきちんと描かれるのではないかと期待しながら読んでいたところがあり、その期待が
どんどん先延ばしにされて、最後には語られなかったので、モヤモヤしていたんだと思う。
でもね、ココまで書いて思った。
通常の恋愛物語なら、カンチ・三上・さとみの3人がメインで三角関係を描くことで成立し得たはずだ。
でも、何故東京ラブストーリーには、リカの存在が必要なんだろう?って。
新たなモヤモヤの出現。
そこで、また考えてみた。
強いて言うなら、恋愛物語の基本形をそのまま持ち込むなら、リカは必要ない。
先ほど説明したように、カンチ・三上・さとみの3人でも恋愛物語は成立しうる。
はっきり言って、無理矢理三角関係に投げ込まれたリカがココまで物語の中でしっくりいったのは何でなんだろう。
それは、おそらく、リカが恋愛とは違うレベルで矛盾を抱え込んだ存在だからなんだろうと思う。
カンチ・三上・さとみの葛藤は、恋愛物語上における葛藤であり、いわば、恋愛の愛の葛藤。
しかし、リカは恋愛の愛の葛藤ではなく、希望と絶望の葛藤。
リカは、愛するのはできるけど、愛されることは不安でできない。そんなリカは、生きたいように生きる延長線上に、
愛したい人を愛したいように愛すという行動があるのだけれど、でも、愛したい人を愛したいように愛すということの
むこうがわに存在する、愛したい人から、愛したいように、愛されるというということができない。
愛したい人を愛したいように愛すという「希望」と、愛したい人から、愛したいように、愛されるということができない、
という「絶望」を同時に抱えた存在がリカだ。
カンチ・三上・さとみの葛藤とは違う葛藤で生きているリカだからこそ、この3人に三角関係の中で上手く、生き生きと
描写されることができたんだと思う
あと、リカの行動を観ていて、教えられたことがある、自分が不幸になるとか、幸せにしてもらうとかそんなことを考えずに
いつも飛び込むことの大切さ、自分が愛したいから、愛す。この自由奔放女にそんなことを教わりました。
そんな自分は、リカが、いまどんな女になっているんだろうと、ふとぼんやり思ってみる。
もう子供は大きいのかな、母子家庭のままなのかな、継父はいるのかな。子供から愛されることに不安を抱いていないかなって。
この作品、最後にこんなカンチの言葉で締めくくられている。
「東京の人ならどこかで赤名リカに会うかもしれない。彼女に会ったらよろしく伝えてください。彼女はかつて── ──かつてぼくが愛した女です」
「赤名リカという・・左目の下にほくろのある気のいい女です」
でもね、赤名リカって、今まで自分があったことのある人に似ているんだよね。
それを想うと何故かリカを見て切なくなりますw
でも、探してみたくなりました、もう一人のリカを。
きっとリカのように、前向きに生きなくちゃ。