PoweShotNの現象学

PoweShotNについて考える機会があったので、いろいろ考えてみました。

デジカメの進化とは何だったのか

今までのデジカメの進化とは、軽くさらっと言ってしまえば、「今見ているそのものの現象を見たままに記録する」ことに特化していたと思う。現在の風景をきちんと記録できるように、適切なホワイトバランスの選択・露光の選択などなど、今まできちんと考え抜かないといけなかったパラメーター類をカメラが自動的に選択してくれて、その時の風景という現象をそのまま鏡のごとく写し取ってくれる物として進化してきたように思える。
そして、我々はその記録を後で見返すことで、その現象的体験を追体験することに写真としての価値を見いだしていた。だから、デジカメとは、「今まさに我々がみているものを現象的に鏡のように忠実に写し取ってくれるもの」として進化してきたと言っても過言でない。

デジカメにおけるフィルターとは何なのか

そのように考えるとき、デジカメについてきているフィルターとは何なのかという疑問が当然生ずることになる。
最近のデジカメは、トイカメラ風に取れるフィルターなどがあらかじめプリセットされていて、撮影者が任意にそれらのフィルターを選択できるようになっている。
それを考慮に入れてしまうと、「今まさに我々がみているものを現象的に鏡のように忠実に写し取ってくれるもの」という図式が崩れるのではないかという疑念が生じるが、必ずしもそうではない。
ここであえて「現象的に」としたのは、撮影者の見た風景とそこから感じる感情すべてを含めたかったからだ、我々はまさに写真のように、風景を物理的にだけに捉えているわけではなく、そこには、感情的な視点でも捉えており、気分が落ち込んでいるときと、そうでないときでは、全く同じ物をみても受け取る印象が変わるように、必ずしも物理的な事実のみによる情報を処理して事物を見ているわけではなく、そこには物理的事実を受け取っている者の感情的な側面も決して無視できないのである。
だからこそ、デジカメに搭載されたアートフィルターが意味を持ちうるのである。
そこに、ある種の感情的な側面を付加できるからである。
単純に、鏡のように物理現象を写し取るという役割から、そこに若干の感情的側面という味付けをするという機能が、アートフィルターにはあると思われるのである。

PoweShotNの登場

通常のカメラでの撮影であろうと、アートフィルターでの撮影であろうと写真が勝手に撮れるということはない。もちろん、各種パラメーターを理解していなかったり、性能限界を超える状況で撮影された写真が撮影者の意図通りに撮影されないことはよくあることなので、そこは抜きにして考えたとしても、基本、カメラはその時の状況を、撮影者の行った設定に従って、性能の範囲において、現象を鏡のごとく写し取ろうとするはずである。
しかし、PoweShotNのクリエイティブショットはそれとは全く異なる。
オリジナルの写真が1枚トレこそすれ、それ以外の5枚の写真は全く撮影者の意図に反した、勝手なフィルターを付けたり、勝手に被写体をアップにしたり、ボケの位置を勝手に変えてみたり、露光をわざとハイキーorローキーにしたりする。
今までの、状況を現象的に鏡のように写し取るというカメラの対局に存在するカメラなのだ。
どんな写真ができるかわからない、そんな今までのカメラの進化とは真逆の方向を向いたカメラが、PowerShotN何だと思う。

対話ができるカメラ

PowerShotNを買った理由はまさに、クリエイティブショットができるから、なのだが、デジタル一眼レフを使えば、だいたい思い通りの写真が撮れるようになってしまい、写真を撮ること自体にワクワクを感じなくなってしまったというのが大きいと思う。今までは、思い通りの写真を撮るにはどうしたら良いか試行錯誤するのが楽しかったのだが、ある程度コツが掴めるようになってからは、いかに写真の被写体にふさわしいものを探すかに重点が置かれてしまい、カメラが云々という感じではなくなってきてしまった。
その状況を一変させたのがPowerShotNだ。
被写体は何でもいいから撮ってみる。デジタル一眼レフだったら絶対に撮らないような被写体でもとりあえず撮ってみるようなった。
そして、クリエイティブショットが作り上げた写真を見てみる、「うーん、そうきたか。ここをアップしたか。こういうフィルターできたか」と一人唸ってみるのだ。
まさしくカメラとの対話である。
対話がしたくて、何でも良いから写真を撮ってみる、そしてまた対話が始まる。
PowerShotNはそんなカメラだ。
最初、PowerShotNを見たときに、勝手にフィルターをつけたりトリミングするって言語道断って思っていたが、実際に使ってみると、本当に面白い。
撮る前に、こう思う「こいつは、この風景をどう捉えるんだろうか」と。
そして、写真を見てみて、唸る。
その繰り返しだ。
そんなカメラができるなんて思わなかった。
きっと特定のアルゴリズムと乱数によって適当にフィルターがかけられたり、トリミングしたりアップにしているだけなんだろうけれど、それを超えて、大げさだが知性みたいなものを感じてしまうところが、そう思わせてしまうところがこのカメラのおもしろさ何だと思う。
きっとこれからもPowerShotNで写真を撮ると思う、それは、今を記録に残したいからではなく、このカメラと対話がしたいからである。きっとそうだ。