自分「として」生きることに対する生き難さー二度目の「風立ちぬ」を観てきましたー

8月も終わる頃になって、久しぶりに有給の取得ができたので、シナリオ・センター通信講座の受講費用払い込みを行うために、東小金井の郵便局に出かけた。

昼前頃だっただろうか、かなり暑い夏の日で、払い込みを終えて、払い込みの控えと受講申込書の郵送手続きを終えた自分は、そのまま、東小金井駅の向こう側にある、スタジオジブリの方まで足を伸ばしてみることにした。スタジオジブリまで行き、そのまま宮崎駿の個人的なアトリエまで行ってみた、もしかしたらという気持ちもあったのだが、きっと先ほどまで見ていたテレビ番組「プロフェッショナル 仕事の流儀 宮崎駿」に影響されてのことだ。
きっとアニメファンがアニメの舞台となった実際の土地に足を運ぶ聖地巡礼みたいなものだろう、本当の意味での聖地巡礼なのかもしれない。そこで、あのアニメが作られているのだから。

そんなこともあって、有給の午後は、もう一度「風立ちぬ」を観ることに決めた。

途中東小金井の駅前にあるモスバーガーに立ち寄り、簡単な昼食をすませ、家の中での用事を済ませると、夕方前に吉祥寺に出かけた。吉祥寺オデヲンで17:50から映画が上映されているため、16時前ぐらいに吉祥寺に到着し、すぐにチケットを購入し、おそらく開場を待つ列ができるであろう17時までタリーズで時間を潰すことにした。

そんなわけで二度目の「風立ちぬ」を観たのであるが、一度目でははっきりとしなかった部分がいくつかはっきりしてきた。それは、物語の進み方、展開に関する部分であり、自分の「風立ちぬ」論に影響を与えるものではなかったけれど、大きな収穫だったと思う。

「風立ちぬ」は観た人であれば、誰もが感じることであると思うが、現実と夢が奇妙に入り交じり、その境目がはっきりしない部分があるため、いつのまにか夢のシーンに入って当惑させられることがたびたびあった。それに加えて、時間の経過についても詳しく説明されていないことがあり、いつの間にか大学生になり、社会人になり、夏休みのために高原に出かけていたりと、時間と場所の移動についてもついて行けなくなってしまうことがあった。
その当惑してしまう部分が二度目を観ることで、ついて行けるようになり、物語について行くのに必死にならず、特定のシーンの意味であったり、台詞の意味であったり、作画されていることの向こう側にあるものに思いを馳せる気持ち的余裕があり、一度目よりもより深い理解が得られたのではないかと思う。
そういう意味では、ちょっと不親切な映画なのだが、何故そうなってしまったのかについては、自分には推し量ることができない、宮崎駿の葛藤や迷いなどがあったのだろうと思う。

二度目に観て、気づいたのが、夢のシーンの出現頻度だ、二郎が三菱に勤めるまで(菜穗子とであうまで)は、夢のシーン、カプローニと夢の中で出会うシーンは多くカットインしてきていた、それが、二郎が三菱に勤め、菜穗子と出会うようになると、全く出てこなくなる。それが、時間にすると丁度半分ぐらい1時間ほど経過した時点でのことだ、それ以来夢の描写はなくなり、夢の描写は一番最後まで出てこなくなる。

これは、何を意味しているのであろうか。
学生から社会人への成長を描くこと、結核という当時不治の病とされていた病気に蝕まれている女性を描くことによって現実というものを直視しなくてはならなくなった二郎の心理状態を表すものとして機能しているのではないだろうか。今までは、夢として、美しい飛行機を作りたいという思いを抱いて人生を歩んできた二郎が直面した現実というものを逆向きに表現するために、夢の描写を減らしたのではないかと推察されるのだ。

子供の頃から、学生時代に至るまで、二郎はおそらく、美しい飛行機を作りたいという夢だけを追って生きていくことが可能であったと心の底から信じていたのであるが、大学生になり、実際飛行機を作るということとなると、その飛行機作成が戦争の道具を作成することと同値となってしまうということにだんだん気づき始める。つまり、現実を意識し始めることにより、夢が現実に侵食され、次第に夢の描写が減ってくる。

それは何を表しているのか、端的に言えば、自分が生きたいように生きるのは難しい、
自分「として」生きることに対する生き難さ
を表現したのだと思う。

自分の理想とする、美しい飛行機を作ると言うことと、それを追求すれば結局の所、軍用機を作らざるを得ないという現実。その現実と向き合ったときにどうすべきか、という切実な問題に直面したときに二郎は軍用機を設計するという道を選んだ。
それは、自分の「生き」を生きることが困難な時代に、どのように生きるのかということについての難しい問題に、あえて矛盾であることを理解しつつも、答えを出すことに対する無根拠性を如実に語った非常に勇気のある行為であったと思う。

この生き方というのは、今の自分たちにはなかなか理解できないのではないだろうかと思う、葛藤するくらいなら、やめてしまえばいいのに、と誰もが言う時代において、矛盾をあえて承知の上で、無根拠にある決断を行うというのは、現代の人間からすれば理解しがたいのではないだろうか。
二郎はあえてそれを行うのであるが、もう一人、この作品には、自分として生きることに対する生き難さを体現する人物が登場する。
そう、菜穗子である。

菜穗子の置かれた状況は二郎よりも深刻である、当時不治の病と言われていた結核に感染しており、治るか治らないか、生きていられるかどうかすらわからないという非常に困難な状況に置かれている。

宇野常寛氏は、そのような、二郎と菜穗子の関係を、宮崎駿からのメタ視点で捉え、二郎の(現代男性の)満たされないマチズモを昇華させヒロイックに描くために用意された、いわば生け贄の存在として儚い女性の菜穗子が必要だったのだ、と分析した。
この分析は、正しいかと言われれば判断を保留したいところであるが、間違っているのかと言われれば、間違ってはいない解釈であると思う。
ただし、作品を、宮崎駿の思想性、もっと言えば、近現代の日本男性の物語に対する思想性から見過ぎている感が強すぎ、どうにも承服しかねるというのが自分の正直な感想である。
物語は、できれば、その中のストーリーや登場人物のつながりの中で分析するものであり、それ以上であると、確かに批評上では大切なことであるが、余りにもメタ視点で語りすぎてしまうと、物語の物語としての求心力が低下してしまい、物語の中で語られる重要なことが薄まってしまうのではないかと危惧せざるを得ない。

話がだいぶそれた、もとの路線に軌道修正しよう。

宇野常寛氏はの批評の中で、多くの意見として、二郎が戦闘機を作る場面と菜穗子との恋愛の場面がかみ合っていないというものがあったと紹介しており、宇野常寛氏は違った観点からその2つのパートの関連性を指摘しているが、自分はここに、この2つのパートに対するある種違った連関を見て取ることができる。

二郎は、自分の「美しい飛行機を作りたい」という欲求を、現実の中で実現させるための最良の方法、軍用機を設計するという方法をとった。
対して菜穗子は、自分の生をより意味あるものとするため、二郎の元に駆けつけるという方法をとる。
そして、菜穗子は自分の生が、意味あるものであったことを確信したときに、二郎の元を去り、舞台からも去る。

両者とも、自分の置かれた現実の立場を残酷なまでに受け入れ、その中で意味ある「生」を選択するという意味において、コミットメントの関係にあるのである。
そのコミットメントの意味は、古い英訳なのかもしれないが、一緒に犯罪を犯す、という意味にかなり近いのではないかと思われるのである。

両者とも、人生の儚さ、時代や状況に個々の人間は抗うことができないということに対する率直なまでの直観があるために、ちょっと語弊のある言い回しかもしれないが、二人ともお互いを利用した、とも解釈することができるのではないだろうか。
(酷い言い方をしてしまえば、菜穗子は先の短い自分の人生において、何かのために、誰かのために生きたという、生きた証・理由が欲しかったのだろう。だから、それを体現するための手段として二郎を利用したとも言うことは可能である)

生きるというのは、結局のところ、そういうものだからだ。はた目から見ても美しく、無菌状態の生などありうるはずもない。おかれた状況を精一杯生きる、このことを二郎と菜穗子は教えてくれる。

実は、この手の話を宮崎駿が描くのは、何もこの「風立ちぬ」が初めてではない。
映画化こそされていないが、同じ月刊モデルグラフィックで連載されていた、「泥まみれの虎」である。
この作品は、第二次世界大戦の実在のドイツ軍戦車長「オットー・カリウス」が体験した、1944年のナルヴァ戦線についてのノンフィクションを漫画に起こしたものだ。
当時のドイツ軍は3年近く続いた独ソ戦の中で疲弊しきっており、前年の夏に実施した戦線の転機をもたらすはずであったクルスクの戦いでも敗北するなど非常に苦しい立場に置かれていた時期であった。実際、このナルヴァ戦線の半年後にソ連軍の一大攻勢である、バグラチオン作戦が開始され、ドイツ軍は全く勝機の見いだせない状況に陥ってゆくのである。
そのような、前後関係のあるナルヴァの戦いであるが、ドイツ軍のレニングラード攻略が1942年に失敗してからというもの、ソ連軍も北部戦線においてはそれほど大きな作戦を実施しておらず、ほぼ一進一退の攻防戦が独ソ両軍において展開されていた戦線でもあった。
しかしながら、ドイツの物量はソ連のそれを遥かに下回り、薄い戦線を歴戦のベテランたちが休み無く戦うことによってかろうじてソ連のじわじわとした攻勢を支えていたのである。オットー・カリウスも、あの伝説の戦車であるティーガーの戦車長として、ナルヴァ戦線で功績をあげるのであるが、その状況がすさまじい。
何十両ものソ連戦車とソ連軍の歩兵が押し寄せる中を、歩兵の援護無し(歩兵はソ連軍の準備砲火を受けて逃げてしまった)という過酷な状況(戦車は固定陣地を防御する際には、必ずと言っていいほど歩兵の援護が必要である、素早く移動する敵歩兵を撃退できるのは歩兵だからである。案外戦車は単独で行動していると、敵歩兵に簡単にやられてしまうものなのである)でありがなら、たった2輛のティーガー戦車で敵のソ連戦車とソ連歩兵を迎え撃つのである。
どんな状況におかれても、諦めずに戦い続けるのである。
それが、良いとか悪いとか、ナチスがどうのとか、そういうこととは無関係に、戦線を維持する、ただそのためだけに大切な命を失う可能性を常に孕む戦線に身を置いて、その場をできる限りの力を持って戦い抜き、そして最後に勝利するのである。
(その後最終的にはソ連軍に押されてしまい、同地から撤退することになるのであるが)

自分の置かれた状況に適切に対処し、その時代に抗うことなくその状況に合わせ精一杯自分の生を生きる。
このことは、宮崎駿の戦争(ノン)フィクションの共通するテーマである。

ある意味、この「風立ちぬ」も同じである。
つまり、現状このようになってしまっていることに対して、「いかに生きるか」が価値で有り、いかにエラそうなことを言うかが価値ではないということなのだ。

そして、今の時代がそのような時代ではなく、自分たちの生きる生き方に対して比較的多くの選択肢が与えられているまさしく僥倖に対して感謝せざるを得ないと言うことをこの作品は示しているのではなかろうか。

自分は二度目の「風立ちぬ」の鑑賞を通じて、そのことを切に感じた。