ゲーデルの不完全性定理は人間理性の限界を示したか


ゲーデルは何を証明したか

みんな何も分かっちゃいない

この前Twitterを見ていたら、イケダハヤト氏にリプライしている人のツイートが見てた。
そのとき、氏は人間の理性についてツイートしていたようで、そのリプライには、不完全性定理とだけ書かれていた。

きっと、ゲーデルの不完全性定理のことを言っているのだろう。

不完全性定理が世に発表されたときに、人間理性の限界を示すものだとして受け取った人が大勢いたという、その辺りの事情に詳しい数学者もそこまでは誤解していなかったようだが、誤解を生む発言をしたものもいる(ワイルなど)。
そのため、ゲーデルの考え方の本質は曲解され、「人間理性の限界を示した」などと言われるようになってしまった。

近年になって、その辺りの情報が整理され、ゲーデルの不完全性定理が「人間理性の限界」を導かないことはよく知られた事実なのに、何故か、この手の誤解が後を絶たない。

何か、わざとこの手のことを言っているようにすら感じることがある。

ゲーデルの証明したこと

ゲーデルが不完全性定理の中で証明したのは、Wikipediaで書かれていることでも明らかなとおり。

第1不完全性定理

自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。

第2不完全性定理

自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を証明できない。

と言うことのみである。
そう、理性については全く言及していないのである。

上記の定理をかみ砕いて言うと、ある種の公理系では、自身の公理体系の中に証明も反証もできない命題が存在する。(しかし、その命題が真であることは経験上あきらかである。経験上明かなことと、証明できるかできないかという問題とに命題を切り離したところにゲーデルの巧みさがある訳なのだが、ここでは特に触れない)
そして、ある種の公理系が無矛盾の時、自分自身では、その無矛盾を証明できない。

というものである。
理性についてまるっきり触れられていないっていうのはわかりやすいでしょ。

では、ある公理系ではできないことがあるのなら、ある公理系から一旦離れてみれば、その公理系の命題を証明できたり、無矛盾性を証明できたりするんじゃない?と考えるのが当然で、実際にゲンツェンが超限帰納法という、自然数論の公理系よりも強力な手立てを使って、自然数論の無矛盾性を証明している。

だから、自然数論だけでは無矛盾性を証明できなくても、そこに強力な武器を装備することで、証明が可能だったりするものなのだ、だから、全くもって、無矛盾性の証明ができなかったり、証明も反証もできない命題が確固として存在しているわけではない。
「ある系の中では」できないことがあるよという但し書きがついているに過ぎないのだ。

だから、ただ、ある系の中で証明できないものがあるとか、無矛盾性を証明できないからと言って、即、人間理性に限界があると捉えるのは、誤解も甚だしい。

そのあたりは、アイキャッチにも用いた、「ゲーデルは何を証明したか」と

ゲーデルの哲学

上記の、「ゲーデルの哲学」を読めばよくわかる話である。

最期に引用を

また、最近ある著者が主張しているように、”人間の理性に説明不可能な限界”があることを意味するものでもありません。さらにまた、人間の才知の完全な形式化が不可能なこと、そして証明の新しい原理が、いつまでも発明あるいは発見されずにいるという意味でもありません。与えられた公理系から形式的な演算によって確立できない数学的命題が、それにもかかわらず、”非形式的な”超数学的推論に寄って確立されうることは、すでに見てきたとおりです。超数学的議論によって確立された、形式的に証明不可能なこれらの真理が、直感に訴える以外にたしかな基礎を持たないと主張するのは、無責任というものです。
計算機に固有の制約は、生命や人間知性を物理的、科学的用語によって説明しようと望んではならないことを意味しません。ゲーデルの不完全性定理は、このような説明の可能性を、否定も肯定もしません。ゲーデルの定理は、人間の心の構造と能力は、かつて考え出された生命をもたないっどんな機械よりも、はるかに複雑、巧妙であることを示しています。ゲーデル自身の研究は、まさに、このような複雑さ、巧妙さのめざましい例なのです。それは創造的理性の力をおとしめるものではなく、まさしくそれを再評価する契機を与えてくれるものなのです。
「ゲーデルは何を証明したか」134-135pより

ここに書かれていることと、実際にゲーデルの示した証明のどこをどう読んでも、人間理性の限界なぞ導き出せはせず、むしろ、ある公理系には証明できないことがあると示したことが、人間理性の限界を示していないことを示していることになるのである。

突然なんでこんな文章を

何故いきなりこのような文章を書いたかというと、たまにネットで見かけるこの手の無知が酷く目についたからです。
確かにゲーデルの言ってることは難しく、誤解しやすい。
しかし、数学に詳しくないものでも、丹念に周辺書物を当たっていけば、とてもじゃないが、人間理性に限界があるなんてドヤ顔では言えないはず。

実は、ゲーデルはこの手の誤解に苦しんできました。
だからこそ、彼はもういませんが、少しでもこの手の誤解がなくなればいいなと思って、このような文章を書きました。

意図が伝わり、少しでも多くの誤解が解けますように…