猪瀬直樹の「昭和16年夏の敗戦」(と、猪瀬直樹自身の平成25年冬の敗戦)


昭和16年夏の敗戦

この本を見て、2つ感じることがあると思う。
作者が、今をある意味ときめく「猪瀬直樹だ」ってことと、「敗戦は昭和20年の夏じゃなかったっけ?」ということだ。

猪瀬直樹だと言うことは置いておいて、「何故、昭和16年夏の敗戦」なのか。

太平洋戦争時の日本人を語るときに、とかく言われるのが「科学的な思考を欠いて、精神論に走りすぎてしまった」と言うことだと思う。
そのため、勝つ見込みがないのにもかかわらず、無謀なアメリカとの戦争に踏み切ってしまい、最終的に敗戦という現実と向き合わざるを得ないという歴史的経験をすることになるのだが、実は、開戦に踏み切る過程において、「総力戦研究所」なる組織が存在し、軍官民から若手エリートを結集させ、そこで、数字的・科学的・現実的なシミュレーションから対米戦争を研究するという、非常に現実主義的な方法論が採られていた。

それが、猪瀬直樹が執筆した、「昭和16年夏の敗戦」なのである。

そして、そのシミュレーションの結果、日本は、敗戦する。

「総力戦研究所」でその敗戦シミュレーションが行われたのが、昭和16年の夏であったので、「昭和16年夏の敗戦」というタイトルになったわけだ。

驚かされるのが、当時の日本でも世界大戦に突入した状況を的確に捉え、第一次世界大戦と同じような総力戦に突入することを看破し、その総力戦にどのように望むべきか、科学的できちんとした統計的な数字を用いたアプローチを利用し研究を行ったことである。
さらに驚くべきことに、そのシミュレーションは日本の敗戦という、当時の軍・政府高官の誰もが対米戦争を行ったら起こるであろうと薄々は感じていた現実を見事に的中させている。

そこまで進んだ研究が行われていながら、それを日本は生かすことができなかった。
昭和16年の夏、東條英機は陸相だったが、研究所のこのシミュレーション結果を聞き、「何が勝利を決定するかは分からない、負けると思っていた日露戦争も勝った。だから、このような結論が出たからと言って、負けると決まったわけではない」という趣旨の発言をしている。
当時、陸相の東條は陸軍の中でも対米強硬派であったから決して受け入れられない結論であったろうが、研究生の中には、東條が思い描いている結末と、今回のシミュレーション結果が一致しているのだな、と感じた者もいたそうだ。

話はそれるが、この後、東條は陸相から、天皇の意向で首相になり、いままでの立場をかなぐり捨てて、対米開戦を極力阻止することに奔走するのだが、時間が味方せず、ついにアメリカ側からハルノートが提示されるに至って開戦不可避の状況に追い込まれ、開戦した首相としてA級戦犯として東京裁判で裁かれることになるのであるが、その彼の旨に、このときのシミュレーションがいかに去来したであろうか。

人は、分かっていながら、結果的に間違ったみちを選択してしまう。
何故、分かっていながら…

鞄が...

結局、頭で分かっていながらも、自分のことになると冷静に考えられなくなってしまうのか、周りの環境がその選択肢しかない方向性に人を追い込んでしまうのか。
かくも人間は過てるものなのか…