横浜トリエンナーレ2014に行ってきた!


トリエンナーレ

これで4度目のトリエンナーレです

トリエンナーレの「トリ」は、トリプルの「トリ」であり、トリオの「トリ」であり、トリコロールの「トリ」であります。つまり「3」を示す接頭辞ですね。
トリエンナーレとは3年に1度開催される芸術の祭典です。
2005年の回から行っているので、これで4度目のトリエンナーレになります。

いつも一緒にトリエンナーレに行っている友人と一緒にトリエンナーレに行ってきました。

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だんだん方向性が…

作品最初のトリエンナーレの印象が余りにも強烈で、その幻影を追い続けてトリエンナーレに足を運んでいるのですが、そのときの衝撃ほどの衝撃を最近のトリエンナーレに受けたことはあまり無いです。
正直なところ。
2005年のトリエンナーレは、友人の間でも伝説です。
参加する芸術とでも言うんでしょうか、芸術があるその場に自分も参加しているという一体感を感じたものです。

それでトリエンナーレの虜になったのですが、それ以降のトリエンナーレは、その場で出会う一期一会の体験から、端から覗く芸術になってしまっており、どうにも理解に苦しむものになってしまっておりました。

それが、最近のトリエンナーレ作品に対する忌憚の無い意見です。

きっと、作品を集めてくるキュレーター?達が方向性を欠いているんだと思うんです…
芸術のことなんかちっとも分からないので勝手にそう思っているだけですけれど。

それでも唸ることも

作品そんな意見をもっているトリエンナーレですが、中には「むむむ」と唸ってしまうことも。

横浜美術館に展示されている最初の方の作品に、真っ白いキャンバスに真っ白い絵の具で絵を描いてあったり、透明のアクリル板に透明のインクで作品が描かれていたりする、一見すると、作品に見えない作品がありました。

最初その作品群を見たときに、「こんなんでお金をもらえるのはいいなー」と下世話な視点で作品をみていたのですが、その中で、作品を作った人のこんな文章がありました。「普段なら下地に過ぎない物を提示すると、人はそこに芸術性を見いだそうとする」
こんな感じの言葉だったんですが、衝撃を受けました。

確かに。

描かれているものは、普段我々が下地、バックグラウンド、バックボーンとしてしか認識していない物体なのですが、それが美術館というコンテクスト、美術作品であるというコンテクスト下に置かれると途端に芸術性を帯びてしまう。というよりも、人はそこに芸術性というものを見いだそうとしてしまうというダイナミズムが生じてしまうというそのことに感銘を受けました。
このことに気づけただけでも、トリエンナーレに来た甲斐がありました。

あと、いとうせいこう氏のトークショーが面白かったです

いとうせいこう氏

いとうせいこう氏たまたま、行った日にいとうせいこう氏のトークショーがやっていたのですが、最初は特に最後まで見るつもりは無かったのですが、面白くて最後まで聞いてしまいました。
内容は、演劇の一期一会性ともいうべきものでした。
内容としては、昔から言われている演劇というものに対する見解をおさらいするものだったのですが、それが現代性の視点からみているものだったので、「それは現代の自分たちだからそう感じるんだよな」とか突っ込みを入れつつも、いとうせいこう氏の行っていることに共感したりしなかったり、かなりエキサイティングにトークショーを聞くことができて、自分としても意外でした。

最近のトリエンナーレには少し物足りないものを感じていたのですが、上記の2つの事象に出会えただけでも、運んだ甲斐があったというものです。

こういう一期一会の出会いが、芸術にはあるので油断ならないですね。