映画「フューリー」に出てくるティーガーについて


ティーガーのすべて

本物のティーガーがついに映画に

ブラッド・ピット主演の「フューリー」の見所の1つに、「本物」のティーガーが映画撮影に使われたということがあるのだが、今回はこの「本物」のティーガーについてさらっと書いてみたいと思う。

第二次世界大戦ものの映画で、時折出演するのが、ドイツ軍のティーガー、しかしそのほとんどが「偽物」のティーガーで「本物」が映画撮影に使われたのは今回が初めて。

なぜなら、この戦車を所有しているボーヴィントン戦車博物館でのレストアが2001~2004年に行われ、おおむねこれくらいの時期に自走可能となったためだ。
プライベートライアンの公開は1998年なので、自走可能なティーガーがこの世に現存していない状態での撮影だったため、「偽物」ティーガーを作り上げての撮影だった。

しかし、フューリーは、運良く自走可能な「本物」のティーガーを博物館から借りることができたため今回の撮影となったわけだ。

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いやな予感

しかし、フューリーの公式サイトを見ていていやな予感を感じた。舞台は1945年4月という戦争末期にもかかわらず、出てきたティーガーが初期型だったためだ。
実は、このボーヴィントン戦車博物館のティーガーについては詳細な解説本が出版されている。
大日本絵画から出ている「ドイツⅥ号戦車ティーガーIEのすべて」という本だ。
この本を持っていたために、戦車博物館が所有しているティーガーの出自を知っていたから、嫌な予感がしたのだ。
戦争末期なのに、1942年に作られた初期型ティーガーが出ているなんて…と思ったものだが、もうこれは仕方が無い、動けるティーガーはこの1輛のみ。
しかし、ティーガーの戦場写真を見ると、それなりに初期型~中期型の特徴が見られる車台も後期西部戦線で見かけることができたので、案外初期型の戦車もそれなりに、生き残り戦場で活躍していたのかもしれない。
その辺のリサーチはきちんとされているとは思うけれど、1945年4月という戦争終結直前に、前期型のティーガーが本当に戦場にいたのかどうかは全く不明なのが現状なのかもしれない。(少なくとも完全に確認することはできなかった)

では、ティーガー戦車は初期型と後期型で何処が違うのだろう。
中期型という分類をする人もいるようだけれど、徐々に改良されていることもあるので、厳密に区分分けするのが難しいと思うので、ここでは大まかに何処が違うのか、説明するに留める。

車体後部の違い

初期型には、大きなドラム缶を2本並べたようなエアクリーナーが2本2組計2組の4本取り付けられていたが、中期~後期にかけて廃しされている。
戦場写真をみると、ここに被弾して穴が空いていたり、ベコベコになっていたりするので、あんまりエアクリーナーとして機能していなかったんじゃ無いかと推測。

戦車長ハッチの違い

初期型の戦車長ハッチは、上に向かってパカッと開くタイプのハッチだったが、これだとハッチの開閉状態が遠方からでも一目瞭然で、戦車長が狙撃手の的になってしまうことが頻発したので、中期以降では、少し持ち上げてから左右にスライドするハッチに変更されている。

司令塔の形状

戦車長が周囲の状況を安全に確認するための司令塔の形状も、初期型では煙突のような筒状のものだったが、中期以降はお椀型になっている。これは司令塔の簡素化が目的だったんでは無いかと思われるが、よく知らない。
筒状だと必要な装甲が厚くなるけれど、お椀型だと砲弾を上手く滑らせて反らせる効果があるので、お椀型の方が合理的な形状だし、なにより突出部の高さを抑えることができるので、被弾のことを考えてもお椀型の方が合理的。

転輪の違い

転輪とは、キャタピラを地面に接地させたときに無理なく送り出すことができるようにする、地面に設置している戦車の車輪のこと。
基本的に、エンジンからの動力を伝えるホイールは、スプロケットホイール(起動輪)、地面側から離れてキャタピラを安定させるホイールのことを、誘導輪と呼んでいる。
その、転輪の側面がのっぺりしていて、キャタピラに接地する部分にゴムが巻かれているのが初期型の大きな特徴。
後期型になると、ゴムの使用量を制限するため、プレス加工の鉄のホイールでゴムを挟み込む形状になっている。挟み込むため、転輪の側面にたくさんナットとボルトが見えるので見た目で後期型を区別することができるようになっている。

上記の特徴を踏まえると、フューリーに出てきたティーガーには、エアクリーナーがあり・ハッチがパカッと開く作りとなっており・司令塔が筒状であり・転輪の側面がのっぺりしていてゴムが露出している、ということからも、初期型ティーガーであることがはっきりと分かる。

それもそのはず

ボーヴィントン戦車博物館のティーガーは実は、1943年の初期にイギリス軍によって北アフリカで鹵獲されたティーガーであり、その鹵獲された時期からしても初期型しか無かった時期なので当然と言っちゃー当然なんだけれど。
そんなティーガーが果たして、1945年4月まで生き残っていたのかどうか、確証が全く持てず、映画を見たときにはモヤモヤしていたんだけれど、だれか、1945年4月でもかなり初期型のティーガーが稼働していたということを知っていたら教えてください。
すごい気になる。

※ノルマンディーでの戦闘あたりのティーガーをみると明らかに後期型が多くて、東部戦線では比較的初期型やら中期型が残っているイメージがあるんだけれど、どうなんでしょうね。