「いいもの」は誰が決めるのか


コトラー氏、低迷する日本を語る「いいものをつくれば勝てるという考えは間違っている。顧客を知ることも大切です」
こんな記事をみつけていろいろ考えたことがあるので書いてみようかと思いまする。
この場合、「いいもの」を作れば売れると製造者は思っているけれど、それは間違っているよ、「いいもの」は消費者が決めるんだよ、というのが趣旨だと思うんですが、まぁ、ざっくりいうとそれも間違ってはいないと思う。

けれども、はっきり言えば、「売れるものが、良いものである」
(少なくとも製造者側からすればオイシくて、大きな概念上「良い(つまり肯定的概念)」と思うから消費者は買う)

まぁ、こう言うと身も蓋もないので…

iPod shuffle

その昔、会社で賞をもらい、その副賞として「iPod shuffle」をもらったことがありました。初代のiPod shuffleだったので、USBメモリにボタンがついただけのような超シンプルデザインです。購入したとしても1万ちょいちょいぐらいの値段だったように記憶しています。
iPodと言えば、液晶がついていて、ホイールでスクロールさせボタンで決定するという今までのポータブルプレイヤーにないシンプルデザインでしたが、iPod shuffleはその上を行くほどの簡潔デザインで非常に驚きました。
賞品としてもらっていなければ絶対買っていなかったであろうデザインです。
なぜなら、自分が聞いている曲のタイトルすら出てこない。
カセットテープのウォークマンならいざ知らず、当時は1行であろうと液晶で曲名がわかるMP3プレイヤーが多かったので、全く液晶がないということ自体受け入れがたいなーと思っていたわけです。
でも使ってみてなるほどなーと思うことがありました。
iPod shuffleという名の通り、曲がランダムに再生されると言うことに対するメリットが歌われていたからです。
当時は、iPodの成功に刺激されていろいろな会社から低価格のMP3プレイヤーが出てきてしまい、機能はそんなに高くはなかったのだけれど、低価格ということもあって、徐々にiPodが押され始めてきていた。そんな時代だったと記憶しています。
おそらくそこで、Appleも低価格のiPodを出すハメになったと思うんですよ。
でも、ホイールも液晶もつけていたらどうしても高くなる。一気に安くして他社に差をつけたい、でも、iPodとの差別化も図りたい、じゃぁどうしよう。
そこで、ジョブズかクックか知らないですが、こんな会話がやりとりされたと思うんですよ。あくまで空想。
「安くするために、液晶もホイールも削って、ボタンだけにして、USBメモリそのまんまの形にしない?」
「でもそれだと、どの曲聞いているかわからないし、選曲するとき不便だよね?」
「それは解決済み。シャッフルするっていう機能を前面に押し出すんだ。シャッフルルするっていうことなら、液晶もホイールもいらねーだろ」
「なるほど、頭良い、ステキ!」
そんなわけで、低価格にするために機能を削ったのにも関わらず、シャッフルして聞くため!という大義名分が消費者に受け入れられて、形が変わってもiPod shuffleは未だ健在。
製造者側も、消費者も、決して液晶無し・スクロールホイールなしのiPodは「いいもの」とは思っていないけれど、「シャッフルして聴くためにはいらねーんだよーん」と言ってしまえば受け入れられてしまう。(つまり買われてしまう)
そして、シャッフルして聴くための機材として「いいもの」と認定され、買われてゆく。
だから、「いいもの」とは結果として「売れた(受け入れられた)もの」なんだと思う。

物語の必要性

すでに世の中には物や情報が溢れかえっていて、その中からようやく取捨選択することで自分たちは生きている。
その中で重要なのは、「それ」を利用することで、自分たちがどうなるのかというストーリーを見せることなんだと思う。
曲をシャッフルして、思わぬ出会いを!と強弁したAppleの主張は受け入れられ、iPod shuffleも受け入れられた。
ただそれだけのこと。

ってことは

ってことは、「いいもの」を決めるのは消費者だけど、消費者だって「いいもの」がよくわかっていないから、何がいいのかを教えてもらう必要があるってことなんだな。きっと。
ニーズの掘り起こしってやつか?

ちなみに

自分はもらったiPod shuffleを一度もシャッフルさせて使いませんでした。
CDをアルバム単位で聴くので、この曲が終わったら次の曲はこれで…というのが体に染みついているので、他の曲が流れてくるとテンポが崩れてしまうのです…
しばらくiPod shuffleを使っていましたが、そのうち容量不足が気になりだして、iPodminiを買ってしまいました。