イケダハヤト氏のブログを読んで思ったこと

写真とブログの内容は関係ねっす。
名前はお見かけしていた「イケダハヤト」氏ですが、ブログとかまともに見たことありませんでした。
時折、iPhoneのはてブアプリで上位にきているので存在は知っていました。

んで、この前、

ぼくらには法律を犯す自由がある – ihayato.書店 | ihayato.書店

なる記事をみつけ、頭をがつんと殴られたような感じになりました。
何となくニーチェっぽい感じだなぁと。
ニーチェなら、何でもして良い自由がある!ということは言わないで、何かをすべき理由は根源的にはない(提示できない)というニヒリズムなんか言いそうな感じです。

でもまぁ、ちょっと反社会的な方向性に突き抜けちゃってる感じがニーチェっぽかったので、「お」っと思ったわけですね。
この方の言っていることって、もう手に負えないほどダメダメっていうわけではなく、結構本質を突いてきていると思いますし(言葉足らずというところと、自分に都合の良い解釈を前面に持ち出すので、他人の反発を買うことが有ると思われ…)、もっと深掘りして議論を展開していけば、何か面白そうな発見でもありそうな感じがします。

そこで、記事を過去に向かって読み進めていたら、こんな記事見つけました。

「無断転載」の何が悪いの? – ihayato.書店 | ihayato.書店

うっそーん。
つまりこういうことっぽいです。

「無断転載ばかりのブログをとがめられる」

イケダ氏「無断転載って悪いことなの?という問題提起」

「無断転載が主だとそもそも引用じゃないからダメだよ」

イケダ氏「無断転載も自由だ!法律を犯すのも自由だ!(もちろんそれによって刑罰を受けるのは織り込み済みでね)」

という感じ。
ただ、純粋に、法律を犯す自由も僕たちはもっているのではなかろうか?という疑問を提示していたんではないんですね…

いろいろ言われて、「法律を犯す自由を持っているんだ!(だから無断転載は基本的に何か言われない限り辞めない!)」っていう結論に至ったという訳ですね。

最初はすげー純粋に物事の本質を突いてきて凄い人だなって思ってたんです。
哲学者ってだいたいにおいて、世の中に当然受け入れられている事実に疑問を抱いて、それに対する問題提起を行って、新しい地平を切り開いている感じがありますが、イケダ氏の場合は、自己弁護のために開き直っているようにしか見えないところが残念です。

この流れを見てしまうと、あのイソップ童話のキツネを思い出します。高いところにあったブドウを取ることができなかったキツネの話。
キツネは、ブドウがとれないことがわかるとこう言います。「あのブドウは酸っぱいに決まっている(だからとるに値しないブドウである)」と。
イケダ氏のいっていることもこれに近く、自分の行為がどうやらいけないことであるとは気づきつつも、悔しいので「無断転載は確かにいけないことであるが、そのいけないことをする自由が、僕にはある」といっているに過ぎません。

しかも、そのように自由に生きることが良いことである、というか、元来人間というものはそのようなものなのである。という教義まで作り上げて布教しようとすることはちょっと異様に見えてしまいます。(何故人は元来自由なのかと言うことに対する論理的な展開は無し。とにかく自由なんだとしか言わない)
あのキツネの例でいうならば、「ブドウを食べない生き方こそ、キツネ本来の生き方である!!」と叫んでいるようにしか聞こえないわけで…

個別の問題を、一般論的な問題にすり替えて、そこで主導権を握るというのは、ニーチェが批判した「僧侶的」なやり方に全くもって酷似しているように思えます。

思考停止とか、法律がとか、自由がとかいろいろ言ってはいますが、結局の所ブログという生活の手段が奪われるのを避けるために、必死で非難を回避しているようにしか見えないところが非常に残念。見せ方によっては、もっと斬新な問題提起ができるのになぁと思ってしまいます。

そんな状況に無自覚なためか、

罰を与えれば、バカな若者は冷蔵庫に入らなくなるのか – ihayato.書店 | ihayato.書店

と、自己矛盾を起こしてしまっています。
この話も結論は簡単で、「冷蔵庫に入る自由はあるけれど、それによって何らかの刑罰を受けなくてはならなくなったら、甘んじて受けよ」ではないでしょうか。

「罰を与えても若者は冷蔵庫に入らなくはならない!」と力説したところで、法律を犯す自由を持っている以上は何を言っても無駄でしょうよ。
というより、法律を犯す自由を行使する機会を奪っているのは、良いことなの???
(あえて、刑罰を受けることを覚悟の上で、若者が冷蔵庫に入っているとしたらだけれど)

まぁ、炎上を恐れるな!!っていう記事を書いているくらいなので、あんまりいろいろと考えないで記事を書いているんでしょうけれど、それにしてもいろいろオシイというか。酷いというか。

ドラゴンボールの悟空はみんなから、少し「元気」を分けてもらう形で、「元気玉」を作るわけですが、イケダ氏の場合は、みんなから、少し「怒り」を分けてもらう形で「怒り玉」を作り、それを景品交換所で換金しているようなイメージができてしまいました。

生活かかっているみたいですからどうしようもないんでしょうね…

まぁ、あまりにもモヤモヤしたのでこんな記事を書いてしまっている自分もイケダ氏の術中にハマってしまっている訳ですが…

と、あまりにもイケダ氏のことが気になりまくってネットでいろいろ見てたらこんな記事見つけました。

いいたいことは綺麗にココに書かれていた!
書く前に読んでおけば良かった…