突然ファミコンのことを思い出しました
それは小学生の時だった…
自分、もうオッサンなので、ファミコンが登場したときにはすでに小学生でありました。
ファミコンは今のコンシューマー機からすれば格安(14,800円・ソフトは初期で3,000円くらいでした)でしたが、そもそもコンシューマーゲーム機というものが普及していなかったので、親の世代からすれば得体の知れない高価なおもちゃぐらいの認識しか無かったと思います。
しかも、目が悪くなるとか、勉強がおろそかになるといった恐ろしい話が敷衍していたので、両親連中は余計に恐れていたに違いありません、ファミコンを。
友達でファミコンを持っていたのは、「遊星からの物体X」を見せて自分にトラウマを植え付けたI君家ぐらいでした。I君家のファミコンはABボタンが四角いゴムのやつで連打するとぽろっと取れてしまう今の基準からすると欠陥バージョンでした。
(I君家は、セガのものでは無いファミコンぽいゲーム機も所有していた…いわゆる金持ち)
昔はおおらかだったのか何というのか、取れてもあまり気にしてなかったような…
そのうち丸いプラスチック製のボタンに変更されました。
当時のファミコンは普通にしていたら手に入らないほど人気があり、しかも高価かつ親の理解が得られないといった何重ものハードルが存在していたため、雲の上の方の、手が届かない存在でした。
しかし、何故か、小学3年生(?)のクリスマスに両親が突然、「ファミコン買ってやる」と言い出したでは!
自分、もうそれは、たいそう喜びました。
「一緒に買うゲームは何が良い?」という話になり、当時人気大爆発だった「スーパーマリオブラザーズ」を買って欲しいと頼みました。
いつ買ってくれるのか、何処で買ってくるのかは秘密にされたまま、クリスマスを迎えます。
きっとこのタイミングだろうと思っていたら…
キター!ファミコン!
これで
これができるわけです。
1日ゲーム1時間という約束をさせられましたが、そんなことはどうでも良く、とにかくスーパーマリオができるんだ!と心を躍らせて箱を開けると!
ファミコンと一緒にあったソフトは…
これでした。
スーパーじゃねぇ!!!!!!
もう、涙の猛抗議ですよ。
「これは違うゲームである!」と説明しましたが、両親の理解は得られず。
ゲームの交換も無理ということが判明し、涙に暮れました。
楽しいはずのクリスマスプレゼントが一転、こんな結末になろうとは…
その日から、ひたすら1時間マリオブラザーズをやりまくるという日々が続きましたとさ。
だけどさ
今思えば、こんな高いゲーム機(当時の価値からすればね)を買ってくれた両親に感謝しないとバチあたるなーと思ってみたり。
自分、子供いないんですが、姪っ子はいます。
姪っ子に「プリキュアの○○買って」といわれたら、まさしくその「○○」を購入する自信は全くありません。
「プリキュアならどれもおんなじだろ!」と適当に選んでいると思います…(ヒドイ)
そう思ってしまうと、両親の行動も致し方なかったのかなーと思います。
「スーパー」が付いているか否かという問題に何処まで意識的に関与したのか分からないけれど、仮に、「スーパー」が付いていないということを認識したところで、「大して違わないだろ」と思ってしまったとしても、今の自分の子供のおもちゃに対する認識から考えれば不思議じゃ無いです。
そして、次のゲームは自分で買ったのですが、その頃スーパーマリオは大人気のため、何処にも売っていなく何故か「ゴルフ」を買ってしましました。
何故、「ゴルフ」を買ったのか、未だに謎です…