高級オーディオは何故音質が良いのか


DT990
※うちにある一番高いヘッドフォンです。(世間的には安い部類だけれど…)

値段が高いほど音が良い?

高級オーディオの世界ってなかなか理解しづらいものがありますよね。高級オーディオ雑誌を読むと、理解出来なさが爆発します。
例えば、なんかヘンな機械にCDを入れて機械を作動させると、CDの音質が良くなるとかいったマシンが色々と、紹介されたりしてます。その機械の説明によると、何度か使ったCDは帯電した状態にあって、その電気を取り除いてあげると、CD本来の音質を取り戻せるんだとか。そんな機械が1000円とかなら、「まぁ、騙されたと思って、ネタ的に買ってみるか」と思えるのですが、実際の値段は数万。よくわからない原理の機械に数万です。
こうなると、高級オーディオ=オカルトって揶揄されるのもわかる気がしますわ。
あと、有名なのは、PCオーディオの世界で高級オーディオクラスのUSBケーブルを使うと、音質が向上するってのも有名な話です。多くの人が、デジタル音源なんだからデータの劣化なんか起きることはなく、ケーブルの品質によって音質が変化するはずないと、考えていますが、高級オーディオ愛好家の考えではそうではない模様。高級オーディオクラスのUSBケーブルって、高いと、1m数万とかザラですからね。たしかに、最後のアナログ部分である、アンプとスピーカー部分のケーブルを高品質なものに変えると、音が良くなるのは事実としてあります。あの部分はアナログなので、音質が物理的特性に左右され、音質が変わるのはわかりやすいお話し。しかし、それがデジタルの世界でも起こりうるというのが高級オーディオ愛好家の考えのようで、常人の域を超越しているといっても過言ではないような…
まぁ、常人には理解しがたいもの=オカルトって揶揄しちゃうのもどうかと思いますが、確かになんか独特の世界観が展開されているのが、高級オーディオの世界なのです…

スポンサーリンク

値段が高ければ音が良い

高級オーディオって、簡単に言えば、値段が高いオーディオのことです。
では何故、値段が高いと音が良いのか。
簡単に言うと、値段が高いからですw
ああ、循環論法になってもーた。

人間の心理の1つに、ある種の苦労をすると、その体験を過剰に評価してしまうというものがあります。
仮に客観的に見て、無意味な苦役でも、当人の主観的判断では「確かに客観的には意味が無いかもしれないけれど、自分の人生においては大きな意味があったはずだ」と思い込んでしまうという心理です。
これ、苦役が苦役であるほど、意味のあることだと思い込みやすいという性質があります。

つまり、高級オーディオで多額の金銭を支払ってしまった後では、そのオーディオ機器で音楽を聞くと、音質が良くなったように聞こえるものなのです。人間の心理的に。
多額の金銭を支払ったオーディオの音質が悪いわけが無い、という思い込みとともに、多額の金銭を支払ったことによって、潜在意識の中でそのものを否定できない気持ちが生まれます。
否定してしまえば、多額の費用の支払いが間違ったことであったことを認めることになり、それは絶対に認められない、金額が高くなればなるほど、(苦役が意味のあることだと思えるように)、音質が良くなったと思い込む傾向が強い。(いわゆる、ハロー効果)
だから、あながち、高級オーディオは音質が良い、は間違っていない。
その当人にとっては。

オーディオの評価基準は、客観的では無く、主観的なので、なおさらその傾向が強まる。
当人が良い音だと判断したら、それを覆すことは絶対にできない。
他の人が酷い音だ、と言っても、当人としては「自分はこの音の方がしっくりくる」と言ってみたり、「高級オーディオの音が聞き分けられないなんて、耳が悪いんじゃ無いか」と言ってみることもできる。
つまり、音質については、主観が強すぎて、誰も当人の言っていることを否定はできないのだ。

だから、高級オーディオの世界はオカルトなのだ。
てか、それでいいのだ。
当人の思い込みで満足でき、救われるのなら、一種の宗教だし、それで当人が満足なら、それを越える幸せは無いだろう。
ただ、お金に余裕があって、他の人に迷惑かけていないという前提があってのことだけれど…

自分は…そこそこお金をかけて満足しちゃう人ですw